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横井英樹のwiki経歴・資産と家族構成!ホテルニュージャパン火災とその後の人生

昭和の実業家のシルエット

横井英樹(よこい ひでき、1908年3月31日生まれ、2000年没)は、日本の実業家であり、特にホテルニュージャパンの元オーナーとして知られています。

彼の経営手法や1982年に発生したホテルニュージャパン火災は、多くの議論と批判を招きました。

本記事では、横井英樹の生涯、経歴、家族構成、そして彼の影響について詳しく解説します。

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生い立ちと初期の経歴

横井英樹は、1908年3月31日に愛知県名古屋市で生まれました。

幼少期から商才に恵まれ、戦後の混乱期には繊維業や不動産業で成功を収めました。

特に、企業の買収や再建に積極的に取り組み、その手腕から「乗っ取り屋」として知られるようになりました。

企業買収と「乗っ取り屋」としての名声

1950年代から1960年代にかけて、横井は数々の企業買収を手掛けました。

その手法は時に強引とされましたが、経営不振の企業を立て直す手腕は高く評価されました。

しかし、その一方で敵対的買収や強引な経営手法が批判を招くこともありました。

ホテルニュージャパンの買収と火災事件

買収と経営方針の転換

1970年、横井は東京・永田町に位置する高級ホテル「ホテルニュージャパン」を買収しました。

買収後、彼はコスト削減を目的に経営方針の大幅な転換を図りました。

しかし、この方針転換が安全対策の軽視につながり、後の悲劇の一因となりました。

1982年の火災事件

1982年2月8日未明、ホテルニュージャパンで大規模な火災が発生しました。

この火災により、33名が亡くなり、34名が負傷する大惨事となりました。

調査の結果、スプリンクラーの未設置や火災報知器の不備など、多くの安全対策の欠如が明らかになりました。

さらに、従業員への防災教育や避難訓練もほとんど行われておらず、初期対応の遅れが被害を拡大させたとされています。

火災後の対応と批判

火災発生当時、横井は現場に蝶ネクタイ姿で現れ、その態度が世間の批判を招きました。

その後の衆議院地方行政委員会への参考人招致では、「従業員に対しては日頃からお客様の安全を守るように教育してきた」と述べましたが、

実際には防災訓練がほとんど行われていなかったことが明らかになりました。

家族構成と著名な親族

横井英樹の家族は、多方面で活躍しています。特に音楽業界では、孫や曾孫が著名人として知られています。

  • :路子
  • 長男:邦彦(1943年生まれ)
    • 慶應義塾大学卒業。東洋不動産元社長、山科精工所元社長。1969年に女優の星由里子と結婚するも、短期間で離婚。2008年に自ら命を絶ちました。
  • 長女:智津子(1944年生まれ)
    • 1978年に建築家の坂倉竹之助と結婚。
  • 次男:裕彦(1945年生まれ)
    • トーヨーボール、ホテルニュージャパン、東洋郵船などの社長を歴任。
  • 庶子:中原キイ子(1945年生まれ)
    • フランス系アメリカ人の夫ジャンポール・ルノワールとともに、横井が購入した海外の不動産の管理・売却に関与。

晩年とその後の影響

横井英樹の晩年

1986年、横井英樹はホテルニュージャパン火災における業務上過失致死傷罪で懲役3年の実刑判決を受け、服役しました。

出所後も実業家として活動を続けましたが、経済界での影響力は大幅に低下しました。

1991年には、俳優であり実業家でもある安藤昇(元暴力団組長)が主導する襲撃事件に巻き込まれました。

この事件では、横井が関与していた不動産取引を巡るトラブルが原因とされ、

東京都内のホテルで安藤昇の関係者によって襲撃されるという衝撃的な事件が発生しました。

2000年、横井英樹は92歳で亡くなりました。

その死後も、彼が残した負の遺産であるホテルニュージャパン火災は、日本の防災対策の在り方を見直すきっかけとなりました。

ホテルニュージャパン火災の影響と教訓

ホテルニュージャパン火災は、単なる経営ミスではなく、日本の防災行政にも大きな影響を与えました。

この事件を受け、1983年に消防法が改正され、ホテルや宿泊施設の防火管理が強化されました。

特に、スプリンクラーの設置義務や防災訓練の徹底などが法的に義務付けられ、以降の日本の建築安全基準に大きな影響を与えることとなりました。

また、この事件は映画やドラマ、書籍の題材にもなり、日本社会に長く記憶され続けています。

横井英樹の遺産と家族の現在

横井英樹の家族は、彼の死後も様々な分野で活躍しています。

孫:Zeebra(本名:横井英之)

孫にあたるZeebra(ジブラ)は、日本のヒップホップ界のレジェンド的存在です。

彼は1990年代から活動を開始し、日本のラップカルチャーの発展に大きく貢献しました。

現在も音楽活動を続ける一方、テレビ番組やイベントのプロデュースにも関与しています。

曾孫:RIMA(横井里茉)

Zeebraの娘であるRIMA(リマ)は、日本の人気ガールズグループNiziUのメンバーとして活躍しています。

NiziUは、JYPエンターテインメントとソニーミュージックが共同プロデュースしたオーディション「Nizi Project」から誕生し、

2020年のデビュー以来、国内外で高い人気を誇っています。

横井家の資産と不動産

横井英樹は生前、多くの不動産や企業を所有していましたが、
ホテルニュージャパン火災による社会的批判と刑事責任の影響で、多くの資産を手放すこととなりました。

彼の家族はその後、金融業やエンターテインメント業界へと活躍の場を移し、現在も様々な事業を展開しています。

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まとめ

  • 横井英樹は、1908年に生まれ、戦後の日本経済で成功した実業家である。
  • 「乗っ取り屋」として知られ、企業買収や経営再建で名を馳せた。
  • 1970年にホテルニュージャパンを買収したが、経営方針の失敗で1982年に火災事故を招いた。
  • 火災で33名が亡くなりし、業務上過失致死傷罪で実刑判決を受けた。
  • その後も襲撃事件などに巻き込まれ、波乱の晩年を送った。
  • 孫のZeebra、曾孫のRIMA(NiziU)が音楽業界で活躍している。
  • ホテルニュージャパン火災は、日本の防災法改正に大きな影響を与えた。

横井英樹は、その波乱の人生とともに、良くも悪くも日本の歴史に名を刻んだ人物です。

彼の経営手法やホテル火災の悲劇は、今後も語り継がれることでしょう。

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